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2歳のとき、父と母から買って貰ったおもちゃのゴルフクラブを振ったことがきかっけでゴルフを始める。 その後、第17回九州高等学校ゴルフ選手権大会 (小学生の部)で準優勝(第2位)し,初の入賞を果たす。 そして、数多くの大会で優勝をし、九州アマチュアゴルフ選手権競技で最年少優勝をする。 この頃から飛ばし屋の異名を持ち始める。 実際、この頃の飛距離は、距離を重視していたこともあって、今の諸藤将次を遥かに超えていた。 ドライバーの平均飛距離は、320ヤードを超えていたと予想される。 なお、彼の試合でのドライバーの最高飛距離は388ヤードを記録している。ところで、諸藤将次の飛距離は、ほとんどの方がドライバーに目を熱く注いでいるが、 ドライバー以外も驚くべきものがある。スプーンにおいては300ヤードを超える程である。
正直、試合で測定されないのが残念である。 是非、興味のある方は一度、試合を見に行き体験することをお勧めしたい。 きっと、彼の飛距離の秘密がわかるはずである。 2006年、彼はプロ転向を決意した結果、日本大学を中退し、クォリファイングトーナメント(QT)を受ける。 そして、見事、ツアーの出場資格を得ることになる。 しかし、この後、彼は5回のQT受験という苦労道を辿ることになり、ゴルフの難しさを痛感してしまう。 さらに、2010年 (平成22年)2月2日、人生において強い支えであった最愛の母をメラノーマという 恐ろしい癌で亡くしてしまう。 その結果、彼は、人生の希望を失い、それがゴルフの成績にも影響し深いスランプに陥ってしまう。 しかし、彼は、母の1周忌をきっかけに心を入れ替え、亡き母と家族のために、トレーナーの大川氏の下、 肉体を改造し、ゴルフに専念する。 そして、2011年9月、富士桜カントリークラブで開催されたフジサンケイクラシックで見事、 初優勝を果たした。 この優勝は彼にとって他のプロの初優勝よりも特別なものであったにちがいない。 なぜなら、彼の母の大好きな花が桜であり、静岡に入院していた母がよく富士山を眺めていたこと、「フジ」という語が名前にあること など何か縁を感じるからである。さらに、2日間での優勝も母の命日の「2」と強く縁を感じる。 また、名前の「次」は二(2)男を意味するものである。 彼にはこの縁強き優勝をきかっけに第2のゴルフ人生を歩みどんどんと「次(2)」のステップに進んで欲しい。

 

 



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